俺の戸惑いを笑ってくれ(マインドおばけのひとりごと)

一体だれが、自分の脳のシステムから逃れられるというのだろう。

わたしたちは、自分の脳の、世界を認知するその方法に、全てを牛耳られていて、いや、牛耳られるというより、それが全て、それがわたしたちの世界の全てなのではないだろうか。

脳の仕組みを客観的に考えながらも、しかし自分のバイアスから逃れられない。わたしたちの世界はこのバイアスで形づけられ彩られ香るものでしかない。

では、世界とはいったい、現実とはいったい、本当のところは、どんな姿で、どんな色で、どんな匂いをしているのだろう?

目覚めたひとつの意識、マインドでない、全てを観ている気づいている意識、それすら、脳の新たな回路だとしたら?

非二元も、悟りも、新しい神経回路(または閉じていたものの復活、あるいはミステイク)だとしたら?

誰がそうでないと言えるのだろう?

中途半端に座禅が進むと禅病になる人が居ると聞いた。ウツのような状態になるらしい。わたし今それなんかも?

スピリチュアルな成長それ自体が幻想ではないかと、わたしの脳がそう解釈しようとしている。わたしにおいてはそうである。いままでやってきたことはなんだったのだろうと思うことばかり最近では。

わたしは収縮し途方に暮れている。

わたしにはいくつか我慢ならないことがある。週末だけのWSでヒーラー気取り、人のエネルギーや精神に触ることがそんなに軽いことだと思うなよ、もっと癒されてから来い。自分がキラキラしたいために人のメンタル触ろうなんてエゴイスティックの極みだ出直せ。対人援助したい人が自己価値を値段に乗せるな、心が閉じて長く動けなくなった人が最初にダメージを受けるのは経済状況じゃねえのか、などなど。(ふふふ、きみぃ、他人に言いたいことなど、例外なく自分に言いたいことなのだよ)

しかしそれすら、本当はどっちでもいいことだ。

ぐちゃぐちゃに癒されてない人も人を癒していい。承認欲求まみれでクライアントと共依存したっていい。

状況が変わったことについて行けず我慢に我慢を重ねたっていい。

がんばったことが最後の最後の弱さで全て丸つぶれになったっていい。

人は、「宇宙におまかせ」というとき、受け取ることは「自分にいいこと」が前提だ。

宇宙におまかせした内容に家族の死や戦争は入っていない。それはおまかせではない。

だがわたしがこれまで接してきた多くのスピリチュアルな概念は、「いいこと」のためにあった。いや、スピリチュアルは悪くない、それが私の脳の受け取り方だった。

「生きること」そのものではなかった。

いい悪い、快不快、楽しいつまらない、道理理不尽、その全てを受け入れる勇気を、わたしが受け取ったスピリチュアルな概念は優しく萎えさせてくれた。

生きることから逃げたかったわたしには、素晴らしい隠れ蓑になった。わたしはそれに気づかなかった。

ライフの全て

なにもかも、あるものすべてが、丁寧に紡がれる命の姿

ここにいるしかなく、どこにも行きようがない。

どこにも行きようがない。

この動物の体、不自由で途方もない脳、それらを俯瞰してみた時、現実があまりに…なんというか…なぜあるのだろう…なぜ目の前にこれらがあるのだろう…

意味ないじゃん…意味ないのに…なんであるんだろう…

 

という戸惑いの中で、生きております。そんなわたしに、今日も植物と虫が優しい。(え〜日本時間2017年10月8日現在です、オーバー!)

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数時間後読み返したら、すごいね、マインドに乗っ取られてるんだね!マインドおばけってやつだよね。滑稽だけどそのままにしとくね!書いたら少しすっきりしたもんで。(え〜と、日本時間2017年10月8日晩ご飯後ですオーバー!)