わたしの実体はどこにありましょうか

こないだ結構ショックなことがあって…

それは、自分が、本当に自分の価値観や信念の中でしか生きていないことを見てしまったこと。で、そのことはわかっているつもりで、実は全然わかっていなかったこと。書くと陳腐ですが…わたしが自由に羽ばたかせていたつもりのあらゆる思索、あらゆる想像(行動は小さい(笑)それは知ってる)が、それはもうありえないほど小さな羽ばたきだったこと…

いまいろんなことが変わり目に来ていて、わたしなりにあがいているつもりなんだけど、じたばたしたつもりでいて、半径10センチくらいのところをぐるぐるしていたような気になった時、これは錯覚ではない、という感覚があったのね。

自由バージョンで図にするとこんな感じ…

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あるいはこんな感じ…

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なぜかわたしはこのことに大変衝撃を受けてしまった。わたしがえらそうに、人様にこれはこーだよあーだよ言って来たことすべて、過去何かで積み重ねられて来た記憶や情報から作られた壁の中の範囲のこと!!

大変な虚脱感だった。

外界への反応は全て意識的と錯覚した自動反応。

そして、その反応のリソース、元になっている土台、わたしのOS、そういったことすら、自分ではわかってないわけ。

自動反応してたこともわかってなかったし(本人意識的に生きてるつもり。マイケル・ローズが、「毎瞬、意識して愛を選択しましょう!」って言ってるのに毎回「いいね」つけたりしてさ。)、自動反応を起こす元になっているものがどんな状態なのかも知らない。

これこそ、THE・無意識状態じゃないですか?

思ってたよりも、無意識で生きてるんじゃないのか?考えているからと言って、無意識でないというわけじゃないのよ。

無意識って、意識的であると思っている無意識なのよ。無意識状態って、結構巧妙なんだよ…。。

 

そしてもっとすごいのは…

そのOSというものには、実体がないってことなんだよ…

とらえどころのない「わたし」…

把握できてるわたし、できてないわたし…

把握できてないならそれはわたしなのか?

…どこからどこまでがわたしなのか???

実体がないのに、「自分」だなんてよく考えたら不思議じゃない?

オーマイガ…

知ってました、結構前から。エックハルトもアジャシャンティもほかいろんなマスターがそう言ってた。自分と思っているものには実体がない、幻想だよって。わかってたけど…原チャリに乗りながら、ある瞬間、それが襲いかかって来て、絶句してしまった…いやもともとバイク乗りながら喋ってないけど。

 

そのプログラムの総体をわたしと認め愛しそれを生きるのよというのもわかる。すばらしい。オトナって感じする。

 

でもそうは問屋が下ろさん場合、それが疑問で仕方ない場合、

「わたしとは、いったい誰なんだ…」

 

そこに待ち構えているのが、禅、ということでありましょうな。