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なにもかも大差ない

ツイッターで、あるスピ系bot(決まった投稿を自動でアップしてくるアカウント)の

 というツイートがあってね。

わたしの最近の発見に、「どんなに活き活き自分のやりたいことをやって豊かか、それともやりたいことをやれずにキュウキュウ生活しているか。両者にはなんの違いもない」ということがあります。

もちろん、今までだってそう思っていたけども、そうは言ってもやっぱり「やりたいことを活き活きやって豊かであるに越したことはない」と思っていました。それに、やっぱりわたしは自分のやりたいことをやって豊かに生きたいなあと思っていたし。

これはまったく、頭で理解しようとして無理だった例だなと今はわかります。

両者にはなんの違いもない。

これだけなんじゃないかな、本来は。

「そうは言っても現実的には、前者であるに越したことない」なんてこともありません。

違いなんてない、以上。

 

ふと、ある日、「越したことはない」をつけない自分に気がついたのです。

でね、「大差ない、なぜなら、どんな状態であっても人は完全で素晴らしいのだから」とか、理由もないんです。

なんで理由がないのかわからないのですが、とにかく理由はありません。大差ないだけです。(大差…じゃあ差があるんじゃん、という風に考えるかもですが、上の、遊具が違うくらいの感じです。わー、と言ったか、あー、と言ったかとか。差がない、の方が近いですが、頭の中で、大差ない、って広がったのでそう使います)

ついこのあいだまで、「大差ないはず。でも”活き活き豊か”に越したことない」って思ってたわたしが、いつこの、無感情なまでに「大差ない、以上」になったのか…実はそれもよくわかっていません。

ハワイから帰って来てからなので、ATIHが関係しているかもしれません。

やたら般若心経を読むようになったので、それが関係しているのかもしれません。

https://www.instagram.com/p/BThwlRtFC1j/

最近のお気に入りの本。本?かな?優しい解説に、平山郁夫の絵がふんだんに使われていて、とても美しいので、持ち歩いている(サイズも小さな手帳ほど)。

あるメルマガ(申請してないのに配信がくるようになった(笑))で、わたしの講座に来る人はやはり特別、という、大変人をくすぐる内容のものが来て、「えー!いまだに特別感を煽る系のあるんだ!」と驚きました。

わたしは今後どんどん、こういった欠乏感をあてにする仕事は、いまどーっと増えているように見えるけれど、そのうちひゅ〜っと減っていくと思います。

ごくごく自然に、わたしのような欠乏感ガール(ガールて…)でも、この「大差ないじゃん」感が深いところから、自然と思い出されて不要なフィルタが剥がれてんだから、そういう流れなんじゃね?世の中、と思うわけです。

いえ〜〜い