読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

こんな〜〜なわたしを受け入れる、をやめてみる

どんな自分をも受け入れるというのは、言うほどやさしいものじゃないというか、そうは問屋(エゴ)が下ろさないというのもありますし、ただ、一度あきらめ始めると、結構できるものであります。

あと、結構みんな、「こんな自分じゃダメだ」と、相当な数思っているし、姿を変えた「こんな自分じゃダメだ」もありますよね!(例:習い事が好きなの!→今の自分じゃダメだから)あれだ、隠れ「KJD(こんな自分じゃダメだの略)」とでも言えましょう。

だからまあ気長に、いっこずつやってけばいいわけなんだけど、「こんな意地悪な自分を受け入れる」「こんな怠惰な自分を受け入れる」「どんなに自分が汚らしいことを考えたとしても、そんな自分にオッケーを出す」……こういう感じですかね。

でも、ある日京都北山の安藤晶子さんのセッションを受けていて気がついたんですけど(あっこさんのセッション、ものすごい情報量を引き出してくれて圧巻でした。めっちゃおススメです)、「こんな〜〜な自分」っていうのもいちいちジャッジだなと。

こんな〜〜な自分と裁いてから、それを受け入れる…それも、ある一定量やってもいいなと思うんです。ある程度やったら、自然に裁かなくなるかもしれないし、それもひとつのプロセスかもですね。

でもよく考えたらそもそもいちいち自分を裁く必要ないよな…と思いまして。だから、いちいち「こんな〜〜な」と裁かないで、すべてそのまんま、受け入れてみたらいいなと思ったので、わたしはやってみました。

要するにもう、何をするにしても、それをいちいち分析しないということです。分析のほとんどが自分を裁くために費やされているなら、じゃあもう分析廃止してみようじゃござんせんか。

どうやったらやめられるのか??それが問題だ。

裁いたと気付いたら、やめる、気付いたら、やめる、はい、やめ〜、とかね、声をかける。あと、はい、卑屈になりました、以上!以上、いいですよ、以上は使えます。

やめるとまず決める。わたしはオッケーだと決める。KI☆ ME☆ RU☆!!

生きやすさなんて自己価値そのものですから、自己価値をいかに上げていくかということに尽きると思うんですけど、いろんなセッションがあるとしても、まず自分が決めないとどうにもならんのだなあと遅まきながら骨身に沁みたのでわたしは言いたい。

いや〜、もう自分を裁くのやめましょう〜。充分やりましたよ我々は。やりきった、やり遂げたと申し上げていい。グッジョブですよ!次行きましょう〜あたしも行きます〜☆☆

↓写真は本文と関係のない地上1センチの世界。ビバ地上1センチ!道路ワキとかあぜ道にへばりついて写メ撮ってる人がいたらたいていわたしかと思われます。

f:id:walkonthisplanet:20151217200404j:plain