今年わたしを一番解放した言葉

今年わたしを本当に解放してくれた言葉、それは、

わたしが密かにパステルの心の先生と呼ぶ、ジャスパーさんが言った、

 

『ようこちゃん、

f:id:walkonthisplanet:20151209185647j:plain  』

(言われた時ティラミス食べてたワシの図)

 

です。

2,3秒抵抗した後ぴゅっと泣きました(笑)。(またこのときの千春姐さんの楽しそうな顔!(笑))

もともと、人に関心がないことに罪悪感がありました。自分のために人に施術をする、お客さんとお互いのニーズが合っているのだ、そう自分に納得させてきたつもりでした。なにより、なにより、いい人になりたかった。施術者として、バランスがとれていて、お客さんの癒しを心から願うような人で在りたかった。

いやあ…関心がないとかってそんなんじゃない。

人が嫌いなんだ。ずーーっと、気付かなかった。

ようやく…観念しました。

いま思うと、それを人から言ってもらうのを、ずっと待っていた気がします。

もちろん、施術で手を抜いたことも、腹の中で舌を出しながら施術したことも全くありません!その逆!逆に、めちゃくちゃ一生懸命施術していました。貢献したい、貢献したいって。値段以上のことはやってきたと思う。(要するにやりすぎ)

施術で毎日が忙しかった頃、技術が上がって余裕はできるんだけれど、言い知れない疲れが溜まるばかりでした。ひいきにしてもらえばもらうほど、居たたまれないような、逃げ出したいような衝動が出てきました。

いま、「嫌いだったのに、わたし随分がんばってきたんだなあ…」という、当時の自分にはダメだしばかりしかできなかったけど、ようやく、「お疲れさまだったね」という気持ちになりました。

あのねえ、これはどういうからくりなんでしょうか。

「人が嫌いなわたし」を認めてみると、要するにわたしは無意識に、そんな自分にダメ出しをしていたことに気付きました。

(あのさ…施術していてあるフラットな状態に自分がなると、お客さんが自分だ、という理解に包まれます、おお、自分のこと押してるや、みたいな。。それが真実だとすると、人が嫌いというのは…つまり…)

 ダメ出しをやめて、とりあえずオッケーを出してみた。←というか、人が嫌いという自覚は、やってしまうととても爽快で、自然にオッケーを出せてました。ついでに、ねぎらってみた。

でね、そうすると、ある偏りが、フラットに戻ったのがわかった。するとね、自分が人を嫌いかどうかというのが、問題ではなくなったんです。ほんと、どっちでもいい。

自分にオッケーを出すって、そういうことなんだね。よく言われることだし、みんな知ってて、わたしも知ってる。でも、落とし込むのは、少しずつなんだね。それで、段階があるし、終わりがないよね、きっと。自分を受け入れるって、いっときのことじゃあないんだね。

「人が嫌いだよね」って言葉は、深いところでわたしを救ってくれた、大好きな言葉です。わたしに、もっと自分を愛する機会を作ってくれた。(これは、「場」のおかげがかなり大きいと思います。そう思って大丈夫だった、あのときの「場」を作ってくれた2人の姐さんとご主人に感謝しています)あと、好き嫌いと愛は関係ないなってことも、よくわかった。

このあと更にあっちゃーーーー!という気付きもあって、それも次回備忘録メモしときたいと思います。自分についバツをつけてしまう、誰かの目に留まればいいな…。。