スピリチュアルな信念のダンシャリ

IHの施術をしていてときどき、「スピリチュアルな信念は、施術の邪魔だなあ」と思うことがあります。「スピリチュアルな」という言葉で形而上学的生き方を全て括るのは大変間抜けな行為だと思うので、本当はあまり使いたくないのだけれど。

わたしが過去かなり偏った「スピリチュアルな信念」を持っていたのでわかるのだけれど、そういう概念を生活に取り入れて、よりよく生きたい、と思うのは自然なことだと思うのです。でも、書籍やスピリチュアルリーダーが繰り返し発信してくれる情報を、いつのまにか自分の深い体験のようにしてしまっていたり、過去世や未来世の情報に注意を払い過ぎて、完全にエネルギーを過去や未来に持って行かれている場合もあります。

少し前、施術中に、「なぜカルマなどがあるのでしょう、どうお考えか?」と問われたので、自分の中でしっくりする感覚を答えたところ、「そのはなし、本でもよく読みますけど…」と言われて血が引きました。

…これわたしの感覚かと思ってたけどちがうわ、本で仕入れた知識でしかなかったわ!よく考えたら、そんなの実際に観たことも体験したこともないわ!

世の中の形而上学的啓示の書籍やスピリチュアルリーダーが繰り返し発信してくれる「真実」は、体験していないわたしたちにもエッセンスが届くよう、そうなのかな、と思いながらそこに寄り添って生きることでよりよい影響があるように、また、体験があったときに、これかあ〜!と思えるように、わたしたちに送り届けられています、…と、思います(笑)。

でも、それらはわたしの腹の底から湧いた体験ではなかった。わたしは、そこを長く勘違いしていて、もう、何年か前にそこに気づき、いくつかの段階を経て取っ払って来たと思っていたのに、つい最近、まだもってたことに気がついた!

自分ができてないことは書かない言わないように、自分が臨床とれてない効果効能(!)もうかつに書かない言わないように、それは施術者の良心だと思ってやってきたつもりなんだけどな…

過去世にひっぱられ過ぎていたり、「スピリチュアルな信念」を蓄え過ぎていたりすることにはやっぱりめんどうなことがあって、ブロックと言えば言い過ぎかもしれないけれど、その人の一番柔い所を守る壁のようになっていることがある気がします。他の考えに拒否反応が出たり、今を生きる自分の力を、過去や未来にあけわたす感じ。

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そもそも「スピリチュアルな」おはなしってのは、いろんなレイヤーからいろんな視点からいろんな「真実」が生じていて、溜め込みすぎるとよほど理解してない限りは、自己矛盾し始める気がしますよ…いろいろ思いを馳せながら、少しずつ実生活に落としこんでいく実験は、そりゃあ楽しいんですけどね〜〜!

わたしの場合、その少し前の赤っ恥から、更に、自分以外のものに力を預けない、自分の体験じゃないものは手放す、という決意をしてから、また少し軽くなった気がします。(わたしは、軽くなるごとにor変化があるごとに、気管支が荒れるみたいな、ちょっと風邪っぽい感じになるのでわかりやすい)

いろんな情報は、じーっとつかんでいなくっても、いずれ身の内から明らかになっていくんじゃないか。キャッチアンドリリース。トリガー。これもまた、実験、実験です。

その点肉体はいいよ〜どんなときも、いまここにプレゼンスしてるんだから、えらいよな〜〜(笑)。